KYODO HOUSE -Art of Living 近藤ヒデノリのブログ

クリエイティブディレクター\編集者\ソーシャルアクティビスト 近藤ヒデノリのブログ

アーティスト、設備家、建築家、林業家と一緒につくる「アートと環境の家」

「家は3回建てないと理想の家にならない」
 
とよく言われるらしいけど、高い買いものだけにそんなことは言っていられない。
納得のいくものにしたいし、どうせつくるなら、新しい家づくりや暮らしの提案になるようにしたい。3.11を経た今、なるべく東電のお世話になりたくないから、太陽や風など自然の力をうまく活用した家にしたい。そんな思いから2012年初頭、僕らの家づくりはスタートした。
 
世田谷区経堂。かつて祖父母が住んでいて今は駐車場となった土地の半分を相続できることになったのが家プロジェクトのはじまり。
 

アーティスト、設備家、建築家、林業家と一緒につくる「アートと環境の家」 

ふだんの仕事でも「誰とつくるか」で半分以上が決まると思っているので、
誰と家をつくるか?これには大いに迷った。所謂ハウスメーカーとは根本的に趣味が合わないし、以前「A」という建築系雑誌の編集をしていたこともあり、友人にもいい建築家はいたけど、逆に頼むと決めるまでは下手に相談しづらい……。
 
まずは、中立的な第三者に相談してみようと、知人の雑誌「Lives」編集長と「Casa」のライターに会ってみることに。その時にライターの青野さんに紹介された本が「エアコンのいらない家」だった。京都の長屋に見られる坪庭や縁側、高い天井など昔の日本家屋がもっていた自然の力を生かす智恵。近代以降、エアコンなど文明の利器に頼り過ぎて忘れられてきたかつての家づくりの智恵を現代に取り戻そうという考え方に深く共感。なにせ、僕ら自身もこれまで東京で7年近くもエアコンを使わずに過ごしてきたのだ。
 
早速、連絡して会ってみると意気投合。通常のように建築家をまず決めるのではなく、設備家の山田さんを軸に自然の力を生かした家をつくるという方針は決まった。僕らが家づくりでやろうとしていることの1つは、近代以降の家づくりと価値観を改めて見直し、本来あるべき姿に戻すことなのだと思う。
 
 山田さんの紹介で見に行った京都の長屋。密集した市街にありながら風が通って気持ちいい。
 
もう1つは、自分が大切にする現代アートの価値をどう「家」に入れていけるかということだった。以前、自分たちの結婚式をギャラリーで40人余りの友人作家によるグループ展としてやったことがある。それに近いことを、より形に残る「家」でできないかと思っていた。
 
イメージにあったのは、サラリーマンアートコレクターとして知られる宮津大輔さんがアーティストのドミニク・ゴンザレス・フォレスターと建てた「ドリームハウス」。早速トークイベントを開いて宮津さんに話を聞くと、作品を飾るだけじゃなく、壁紙や本棚、照明、襖、庭など家のあらゆる部分が作品になっている。
 
もう1つが、犬島で見た精錬所美術館。
建築家の三分一博志さんによる自然エネルギーを生かした建築と、
日本の近代化に警鐘を鳴らした三島由紀夫をモチーフにした
柳幸典さんのアートが一体となった体験が強く印象に残っていた。
 
環境への持続可能性を体現しつつ、それ自体がアート作品になっているような家ができないだろうか。
そんな話を京都でアーティストの名和晃平さんにすると盛り上がり、彼の率いるクリエイティブプラットフォームSANDWICHに僕らの家プロジェクトに参加してもらえることになった。
 
 
 
さらに、友人で日本の林業の再生を目指して「トビムシ」という会社を経営している竹本くんも加わる。彼と話していて印象に残ったのは「東京という街と、東京の森が同期する」ということ。大手メーカーが安い輸入材ばかりを使う中、間伐されない日本の森がどんどん衰退している。日本の木を、間伐材を使うことが東京の森を元気にする。この家をそのモデルケースにしたい。
 
東京の森を守るために、竹本さんが今年設立した「森と市庭 東京」。
 

年始からスタート。
一回目の打合せで基本プランは決定!

こうして今年初頭から家の設計がスタート。
そして、正月明け早々、一回目の打合せでスカッと基本プランが決まる。
熟考の末に決めたチームだけに始まると早い。
 
名和さんによる複数のボリューム(箱)を組み合わせたプランを元に、環境チームが1Fを太陽の射す真南に向けて回転させるというプラン。自然の力をとりいれるという機能に即しながら意外性のある形に満場一致で決定。
 
2012年末 我が家でキックオフミーティング。左から設備家の山田浩幸さん、建築家の二瓶渉さん、妻と子供、アーティストの名和晃平さん、筆者。
 
複数のボリュームが積み木のように組合わさるコンセプト案。1Fが南に直角になるよう回転している。
 

地下室案浮上。自分だけの家でなく、
地域に開かれた「みんなの家」に。

 
全体の形が大まかに決まってからは、風呂や書斎の位置があっちこっちへ…間取りを何度も調整するなか、妻の母の「地下室は後からつくれない、地震にも強くなる!」という力説で、急遽、地下室案がモコモコと浮上。
 
考えてみれば、僕ら家族だけの家にするより、いろんな人が出入りした方が楽しいし、子育てにもいいのではと思い始めた。
 
そもそも僕ら夫婦は二人きりで住んだことがない。NYで出会ってから10年以上、新婚当時からずっと他人と一緒に住んできたので、他人と生活をシェアすることに、メリットは感じても抵抗は全然ないのだ。
 
二階をシェアハウスに、地下室で展示やワークショップ、プロジェクトルームに……具体的な用途はまだ未知数ながら、とにかくその方がワクワクする!という理由だけで突っ走っていくことに。
 
その後、東京や京都で打合せを重ねる中で、SANDWICHから建築家の李仁孝さん、ロンドンから帰国したばかりの古代裕一さんをはじめ、インターンも多数参加してくれるなど家をつくる段階からどんどん開かれてきた。
 
 
SANDWICH制作による家のイメージCG。ゲームのように中を歩き回れる。
 
SANDWICH制作による家の外装イメージ。間伐材や廃材を斜めにランダムに貼っていくプラン。

 

基本プラン完成!家という
「ハコ」から「ソフト」の可能性へ。

 
さすがに大金なので息が止まりそうだったけど、ともかく、これで家という「ハコ」の構想は固まった。後は家の「ソフト」である。自分たち家族が住む以外に何をするか。地下室をふくめ、どういう風に家を開いていくのか。
 
日本全国から東京に来るアーティストやものづくりの人が気軽に泊まっていったり、地域にも開いてトークイベントをしたり、ワークショップも、展覧会もしたい、コワーキングスペースもいいかもしれない……妄想は広がるが予算と広さは限られている。場合によってはプランも変わってくる。
 
そして、見積もりと格闘しながら、先日ついに基本設計が完成!工務店とも正式に契約を済ませた。そんなわけで、この連載を通してKYODO HOUSEのプロセスを紹介しつつ、「家」という場所で様々な試みをしている人たちに話を聞きながら、家のソフト部分の可能性を考えていきたいと思う。思えば、KYODO HOUSEに動き始めた2012年初頭、当時編集に携わっていた雑誌『広告』で、以下のように書いたことがある。
 
 
  結局のところ、僕らの考える「オープンになる」ということは、「壁を自由に調節できる状態にする」ことだ。それは「個人の確立」を追うあまり、さまざまな分野で細分化が起き、結果的に個人の存在を壁の内側に押し込めてしまった近現代社会からの脱却でもある。この壁を、風を感じる高さ、他人と会話ができる高さ、時にはじっくり考えごとができる高さなど、境界を厳格に規定せず自由に設定できる状態こそが、これからの日本に求められるのではないだろうか。(…中略)これからの日本は、国全体を「未来のためのオープンな実験場」と捉え直し、多様な人が多様なリソースを駆使していくことが求められる。そのためには、数字で表せる側面だけから物事の価値を見るのではなく、「寛容性」や「信頼」を大切にしながら、人や社会、生態系との「つながり」や「多様性」を育み、それこそが「豊さ」の価値なのだと気づくことが大切なのだろう。(季刊誌「広告」最終号「やさしい革命/オープンになろうー意識の「壁」をコントロールする未来へ」2012年1月)。
 
 
最終号「やさしい革命」特集ということもあり、若干肩に力が入り過ぎの感もあるけど、この時の思いは今も大きく変わってはいない。KYODO HOUSEはいわば、この思いをまずは自分の家と生活を題材に実践に移してみることなのだと思う。お楽しみに!