ホンモノと、手間暇をかけることの価値
先日オープンハウスも終え、最近はこの家でのこれからの活動や庭の植栽などに関心が移ってきたけど、いくつか家をつくるプロセスで書き残しておきたいことを。
KYODO HOUSEをつくるにあたって建築チームと当初から話していたのは、
「ハウスメーカーで建てる予算で、どれだけのものができるか」、
「豪邸じゃなくて、現代の掘ったて小屋とかバラックみたいにしたい」
「金閣寺はいかにもでイヤ。渋めの銀閣寺の方が好き」
ということ。だから、内装はすべてDIYだし、大理石とか高価な材木のような高価な素材は一切使っていない。窓もすべて既成のアルミサッシだし、外壁もフローリング材も製材所に眠っていた古材を安く仕入れさせてもらったもの。ふつうは隠す構造用ラーチ合板も多用している。設計の終盤ではSANDWICH建築チームに何度となく予算面でNGを出すことになり、一時はなんだか自分がコストカッターのカルロス・ゴーンのように思えてイヤになったりも。
そんななかで、SANDWICHの建築チームと何度も話していたのは、
「安い素材でも、手間暇をかければこれだけのものができることを見せよう」
「できるかぎりホンモノの素材を使おう」ということ。
そうした考え方は、名和さんやSANDWICHの李さんに改めて学ばせてもらった気がします。そもそも、彼らが普段つくっているアートそのものが、素材の検証からコンセプト、そして実制作……膨大な手間隙をかけることによって、元の素材自体は特別高価なものではないかもしれないけど、その何倍もの価値に化ける。今回の家作りを通して、手間隙をかけることによって生まれる価値を改めて感じさせられた。
外壁の貼り方検証/ベタ貼りバージョン
外壁の貼り方検証(でこぼこバージョン)最終的にこっちを採用。
今,家に限らず、ものづくり全般であまりにも機能性や効率性が最優先になって締まった結果、なにか大事なものが失われている気がします。
外壁にしても、機能性とコスパだけ考えたら、レンガ風、木材風、タイル風…のサイディング(外壁材)やガルバリウムの方が明らかに勝っている(ガルバリウムは個人的にけっこう好きなので、僕らも最後まで木材にするか検討はしたけど)。
でも、技術進歩によってそういう新しい機能と見かけをもった素材がたくさん選べるようにはなったけど、「○○風」というのは言ってみれば、模造品、ニセモノ。はたしてそれは進化といえるのか?なんだか、街中が模造品だらけのディズニーランドになってしまったような。むしろ、建材といえば木材しかなかった頃の家やお寺の方がよっぽど豊かに思える。この家をつくる前にも、設備家の山田さんの紹介で、京都の町屋やお寺を見てまわったけど、街中なのにエアコンを使わなくでも風が流れるつくりの工夫、欄間に施された彫刻や天井画……豊かすぎる。
もちろん、手間暇をかければ、その分お金はかかるわけで、うちの場合は、外壁の貼り方に多少手間がかかった分、材料を安く入手することでなんとか帳尻を合わせたけど、もはや欄間の彫刻なんて贅沢品。頼める人も少なくなっている分、そうした木材加工の技術自体がどんどん失われていっている。
豊かさと機能性とコスパ…悩ましいところだけど、いつのまにか、どこもかしこも目先の機能性や便利さばかりうたった模造品であふれてかえっているなかで、できるかぎりホンモノで、手間隙をかけたものを大切にしていきたいと思います。