KYODO HOUSE -Art of Living 近藤ヒデノリのブログ

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安部公房「内なる辺境」


内なる辺境

久しぶりに安部公房を読む。
個人的に「辺境」という言葉に弱い。中心と辺境、定住と移動、正統と異端と二元論的にいえば、僕はいつも後者に惹かれる。安部公房も、徹底的に後者だ。そして、エッセイが3本入ったこの本で、いつもの論理的な文体と具体的な例で自分の立場をクリアに説明する。

中でも「異端へのパスポート」と題されたエッセイで興味深かったのが、人類の祖先である直立猿人アウストラロピレクスと併存して、パラントロピテクスという別種の直立猿人が存在したという説だ。すべての霊長類が草食であるように、このパラントロピテクスもそうであったらしいが、その後何かの理由で急速に絶滅してしまう。その理由はここでははっきりとは語られていない。

それよりも発見なのが、結果的に生き残って僕らの祖先となったアウストラロピテクスの方が、霊長類で唯一の肉食であり、移動性の動物という異端だったという事実だ。

「パラントロピクスとともに滅びたのは、単なる社会性や非暴力ばかりでなく、定着しか知らぬあまりにも保守的な社会だったのである。だったということだ。[…]この異端性と、移動本能こそ、われわれの心臓に深く刻み込まれた、未来へのパスポートかもしれないのだ。」


もうひとつのエッセイ「内なる辺境」では、カフカブレヒトフロイトチャップリンエイゼンシュタインアインシュタイン、など蒼々たる文化人を生み出してきたユダヤ人の本質にある「ユダヤ的なるもの」とは何かに迫る。

彼はそれが、帰るべき国を持つ「正統」な民族という概念に対しての、根無し草としての「異端」であり、「覚醒用の毒」だとする。帰るべき土地を根拠にした「農民的」な正統信仰に対して、都市という「内部の辺境」から国境を破壊する軍勢の端緒として「ユダヤ的なるもの」をなぞらえる。

「せめて、一切の正統信仰を拒否し、内なる辺境に向かって内的亡命をはかるくらいは、同時代を意識した作家にとっての義務ではあるまいか」

この本が書かれたのは、日本が高度成長期真っ最中の70年代。その後日本中で都市化が一層進んだ今だからこそ、より有効な言葉だと思う。そういえば、村上春樹がよく「深い井戸の底」という表現を使うが、彼なりの内的亡命ということなのかもしれない。

チョムスキー、世界を語る
長くなってしまったので、
チョムスキーについては簡単に(失礼?)。
彼の著作を読むのは、初めてだったのだが、この本で言っていることは、どれもある種「あたりまえのこと」だった。ただ、それが現実の世の中では行われていないということを、彼は指摘する。