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KYODO HOUSE -Art of Living 近藤ヒデノリのブログ

クリエイティブディレクター\編集者\ソーシャルアクティビスト 近藤ヒデノリのブログ

「渋家/SHIBU HOUSE」に行ってきた

KYODO HOUSE

渋谷にあるシェアハウス/アート集団「渋家(シブハウス)」のことは、以前から聞いていた。何十人ものメンバーで生活しているとか、「避妊をする」「法律を破るな」というルールの存在の噂……何やらアナーキーな場所を想像しつつも、KYODO HOUSEに関連して「家をひらく」例として興味をもっていたら偶然、編集長の西田さんからFacebookで友だち申請をもらったので訪ねてみることに。

渋家ホームページhttp://shibuhouse.com/
昼頃、渋家に行くと、拍子抜けするほど小綺麗な一軒家。何度か引っ越しを繰り返してこれが4軒目らしい。アポを入れていた西田くんが外出中とのことで、前夜のイベント明けで寝起きの表情で出てきた斉藤くん(SHIBUHOUSE代表)に、まずは家のなかを案内して頂く。
 
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意外なほどに(失礼)小綺麗な一軒家。2Fは壁一面の本棚が圧巻だけど、まだみんな寝ている。
 
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ワークスペース。ミシンやPCなどがある雑然とした空間。
 
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みんなの私有物をまとめるクローク。意外にも?盗みなどの問題は起きてないという。
 
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訪れた日はイベント明けだったようで、寝室や廊下には衣類や布団が散乱している。
 
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屋上に出る階段にも誰かが寝ていたらしい。眼鏡が窓枠に置いてある。
 
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気持ちいい屋上もある。
 

「渋家(シブハウス)」とは?

ひととおり家の案内が終わったところで近所のカフェへ行き、話を聞いた。
渋家のメンバーは、現在35人くらい、平均年齢は約25歳。分煙(意外にも)。「誰にでも来てほしいし、分煙にした方がかえって喫煙コミュニティーもできるから」。メンバーからの運営費(一人約2.5万円/月)は「渋家という作品の制作費だと思って」利益が出ないようにやっているとのこと。
渋家内には、LINEグループで10から20くらいの小規模なコミュニティーがあり、代表が把握しているのはその一部。中には、会社登録をしてビジネスを始める人も出ているとか。「渋家」は様々なコミュニティーが生成するプラットフォームでもある。
「これからは100名くらいのコミュニティーを目指したい。今は敏感な人しかいないけど、もう少し普通の人も入ってくるような場所に。そうなったときに何が生まれるのか期待してます。」
話を聞いていくうちに、当初の単にアナーキーなイメージは徐々に覆され、僕も面白くなって、ついついTOKYO SOURCEモードで突っ込んで聞いていく。
 
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渋家代表の斉藤くん(右)と編集長の西田くん。
 
 

東京のプロトタイプをつくる

「そもそも、なぜ渋家を始めようと思ったの?」
「今、パブリックアートをやるとしたら、プライベートを裏返してパブリックにすることが面白いのではと思った」
以前、僕が話を聞いたアーティストのアサダワタルくんも「住み開き」という言葉で家というプライベートをパブリックに開くライフスタイルを提唱している。斉藤くんも彼にトークイベントで会った時に、なぜ東京では「住み開き」が少ないのかという話になったと言う。仮説として、元々コミュニティーがある大阪ではなく、巨大都市・東京でコミュニティーをつくるには、人為的な操作が必要なのではないか。そんな意味で斉藤くんは「渋家」を東京で地価が一番高い場所の一つ、渋谷でやることにこだわったそうだ。スラムが存在しない「東京の隙間に人工的にスラムをつくる」ことによっていろんなものが染み出していく。彼はそれを「東京のプロトタイプ」をつくる実験だと言う。
「アートとは新しい価値を発信するというより、現在の精巧なモデルをつくることなのではないか。『風立ちぬ』や『竹取物語』が現実を物語化したものであると同じように、現在の東京のプロトタイプをつくることで、それを見て対話が生まれるようになれば」
 
 

東京における「公共」のつくりかた

後日、斉藤くんから紹介された劇作家、岸井大輔さんの『戯曲|東京の条件』が、まさに今の僕の関心にぴったりな内容で面白かったので紹介したい。斉藤くんも編集に参加したというこの本は、思想家ハンナ・アーレント九鬼周造の考えをベースに、東京に公共をつくるための方法を「戯曲」形式で記してあり、これを市井の人々が演じることによって「公共」が成立するだろうというもの。詳しくは、本を読んでほしいが、この本で提案されている「TAble」という東京の公共モデルが興味深い。以下、4つの役割があると組織が公共の場として維持されるという。
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『戯曲|東京の条件』(岸井大輔著/東京都文化発信プロジェクト室発行, 2013年)
当事者【表現派】【メンバー】【「いやです」】
製作者【遂行派】【リーダー】【「ちゃんと」】
生産者【思いやり派】【オーガナイザー】【「まぁまぁ」】
企画者【理念派】【コンセプター】【「そもそも」】
それぞれに4文字の言葉をあてはめているのがリアルでわかりやすい。自分はどの役割なのか、つい考えてみたくなる。また、責任をもって主体的に進めて行くのが不得意な日本では、コミュニティーをまわしていくのに「思いやり派」が必要というのも納得感がある。
 

目的のないプログラム

藤君の言う「目的のないプログラム」という考え方も興味深い。トークイベントやシンポジウムのように目的がはっきりしていると、人も集まりやすい分、目的が達せられると終わり、予想外のことは起こりにくい。そんな意味で、渋家ではあえて目的のないホームパーティーや鍋、悩み相談会をやったり、目的のない行為のサイクル化を「無限カレー」と称して、いつでもカレーがつくれる募金箱を設置しているとか。
昨年、惜しまれつつクローズした「三田の家」でも同じようなことを聞いた。慶應義塾大学の教授や学生などが運営していたこの「家」の記録本『黒板とワイン』で、坂倉杏介さんは「欠如という方法」と書いている。「三田の家」では通常の教室やカフェ、オフィスのように目的や機能、そこで期待される行動があらかじめ決まっておらず、その中心にはまず「欠如」があったということ。「あるもの」ではなく、何かが「無いこと」で出来事や人間関係が動き始める余地が生まれ、結果的にその場の意味をつくっていくということ。
この辺は「KYODO HOUSE」でも参考にしたいところ。そもそも、目的がないといえば人生そのもの。あまり目的を決めすぎず、「家」という場だからできる様々な可能性を試していきたいと思う。ちなみに、渋家とはこの時の出会いをきっかけに、北海道に移住した友人の中渓宏一くん、エウレカコンピューターの山下さんと一緒に、今年夏に開催される「札幌国際芸術祭」に向けたプロジェクトも動き始めている。その話については、またどこかで。