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KYODO HOUSE -Art of Living 近藤ヒデノリのブログ

クリエイティブディレクター\編集者\ソーシャルアクティビスト 近藤ヒデノリのブログ

東京の製材所に行ってきた

KYODO HOUSE
 
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製材所の田中さんを囲んで。僕と妻、そら、建築家の李さん、アシスタントの榎さんと(写真‥村上さん)。
第一回で書いたように、このプロジェクトは日本の森の活性化を目指す会社トビムシを経営する友人の竹本さんと恊働している。日本国土の3分の2を占めると言われている森林。その4割を占める杉や檜などの人工林が、安い輸入材に押されて国産材が使われなくなった結果、放置されて荒れ、土砂の流出や地滑りなどの問題になっているという。そこで、できれば一つのメッセージとして自分たちの家づくりには日本の木を使いたいと考えてきた。
そんなある日、竹本さんと働く村上さんから秋川渓谷のそばの廃業した製材所が木材を安く譲ってくれるらしいと聞いて訪ねることになった。新宿から中央線でちょうど1時間。武蔵五日市駅から車で製材所に向かう道の両側には、すでにきれいな川や山が広がっている。大学時代にこの辺りでバーベキューをした遠い記憶を思い出しつつ、これほど緑豊かな場所が近くにあるということに改めて驚く。
製材所に着くと、田中さんが火を焚いて待っていてくれた。後日送ってくれた小冊子によれば、祖父が工場を継いだ明治37年から三代107年間続いてきたが、「その存続は不可能になりそうである」と結ばれているとおり、一年半ほど前に閉じたという。
 
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田中さんと、後日送って頂いた小冊子。原稿用紙に(!)彼自身が調べたこの地域の歴史が書かれている。
 

渋谷が村だった頃、五日市は町だった

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製材所のまわりを見渡すと、そこら中に間伐されていない杉林がある。「あの辺は30年くらいの杉だけど、お金にならないから、もう誰も刈らない」という。田中さんが高校生だった昭和26年頃は、国立辺りの土地が坪500円、30年杉が一本700円。江戸から明治には、ここで製材された材木は脇を流れる川で一本一本流され、秋川で筏に組まれ、六郷で上げられ(僕の生まれ育ったそばでもある)、江戸で使われたという。この地域のあまり太くはない材木は、急速に広がっていた鉄道網の枕木や、破壊消防だった江戸の庶民の家(火事の時に壊しやすい)の材木として使われたらしい。「渋谷が村だった頃、五日市は町だった」当時の筏士はとても派手な商売で、五日市では彼らの遊ぶ遊郭もあったという。そんな風に山から木を切る人、流す人、上げる人……この川の流域でものすごく多くの人が生活できた時代があったのだ。
「それからトラックができて、鉄道が敷かれ、船で運ばれるようになり、大量にモノが動くマス化した社会になっていって、だんだん人間の楽しむ部分が狭められていったというか……人間が機械とか経済に追いつめられたというかね」まさに、チャップリンが映画『モダンタイムス』で描いた状況。「今、大事なのは人間復興」という田中さんの言葉に深く共感する。
さらに、この30年あまりで、大手住宅メーカーのほとんどが輸入材や新建材に頼るようになり、国産材の需要が急速に減ったばかりか、1000年以上かけて築かれてきた日本の木工技術も急速に廃れてきたという。大量生産、グローバリズムによる安さと効率性の追求の一方で、失われるものがここにもある。
 

解体屋と製材所の話

製材所のとなりに見える廃墟となった解体屋の煙突。
田中さんの話でもう一つ印象に残ったのが、製材所のすぐ隣にある解体屋との寓話のような話だった。田中さんはこの解体屋のオヤジにいつも「おまえはバカだ! いちいち手間暇をかけて木を育てて、さらに労力をかけて売るなんて儲けが出るわけがない!俺みたいにあるモノを壊してタダで仕入れて売ればいいんだ」と言われ、永年ケンカしてきたという。そして、解体屋のおじさんは一時期、億単位を稼いで金持ちにはなったけど、早くに死んでしまった。一方の田中さんは、お金持ちにはならなかったけど、3人の子供を育てあげ、今も生きている。あえて人生の収支換算をするとしたら、どちらが幸せなんだろう。
資本主義と並走する産業と、自然と一体となって循環する産業。前者からすれば、できるだけ安く仕入れて高く売り、利益を出すというのは当然の論理だろう。ただ、そこに欠けているのは理念や哲学のようなものかもしれない。田中さんと話していると、どこかインディアンの長老のようにも思えてくる。生態系のなかで生きさせてもらうという意識。きっと、元々は誰もが自然にそういう意識で生きてきたのが、いつのまにかバランスが崩れてしまったのだ。そして、放置されるしかなくなった森がある。
 

 

眠っている木に新たな命を吹き込む

寒い中、材木を計測する建築家の李さんと榎さんと、豚汁をつくりながら田中さんの話を聞く僕ら。
そんな田中さんの話を聞きながら、僕らは倉庫にまだ残る材木を見せて頂いた。どれも埃を被っているが、中身はいいモノだという。種類も数も不揃いなので通常のまとまった注文に応えることはできず、知人関係に少しずつ譲っているそうだ。在庫リストもないので、改めて計測に訪れたが、僕と妻はといえば、建築家の李さんや榎さんが木材を一本一本計測してくれる間中、豚汁をつくりながら、ひたすら田中さんの話に聞きいっていた。
僕らの外装プランは、外壁に材木をランダムに斜めに貼っていくというものなので、材木が不揃いでもまったく問題ない。逆にそれが面白みとなるだろうし、ダイニングやソファまわりのテーブルも材木を生かしてつくってみたいと思っている。元々、新築とはいえ、できればリサイクルや、あるものを寄せ集めて作るブリコラージュの発想を大切にしたかった僕らにとって、まさにぴったりだった。そんな材木を安く譲ってもらえるのは本当にありがたい。
何より実際に木を刈って製材した田中さんに会って話を聞いて、それを使って家がつくれるということ自体が貴重で幸せなことに感じる。田中さんの「ここで眠っている木に新たな命を吹き込んでほしい」という言葉に応えて、木に新たな命を吹き込み、完成した家に田中さんを招待するのが待ち遠しい。家はこの春、着工予定!