KYODO HOUSE -Art of Living 近藤ヒデノリのブログ

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中村ケンゴ個展「自分以外」@MEGUMI OGITA GALLERY

(書くのが遅くなりましたが)5月11日から銀座、メグミオギタギャラリーで始まった中村ケンゴさんの個展「自分以外」。オープニング当日に、TOKYO SOURCEメンバーで会場から公開Ustreamインタビューしました。

個人的な友人でもあり、昨年一緒に別府に行ったり、去年から「湯道」の活動でも御一緒させて頂いてる中村ケンゴさんの3年ぶりの個展。言われてみれば、彼の作品をまとめて見るのは横浜美術館での日本画展以来。今回は彼の初期作から近作、その発展系といえる最新作まで初めて見る人にもわかりやすい展示になっている。そんなわけで当日、初めて行ったUst公開インタビューでしたが、通常のTSインタビューのように下調べしてじっくりと聞くというより、会場のライブ感を主体にしたので少し消化不良の感もあり補足しときます。

中村ケンゴさんの作品は、初期のワンルームマンションの間取り図をはじめ、手塚治虫のマンガのキャラクター、スピーチバルーン(マンガの吹き出し)など、日本文化に特有のモチーフをサンプリングして日本画材を使って絵画にしたもので、アート文脈ではシミュレーショニズムにも通ずる。僕自身、元々写真からアートに入ったこともあって、初めて彼の作品を見た時もまず、この文脈から入った。もう一つは、タイトルの「自分以外」にもある、モチーフそのものから広がる意味的解釈。彼の近作や最新作でモチーフとされるキャラクター(断片)はすべて主人公ではなく、通りすがりの人など、背景にいる雑魚キャラからとられている。自分とは、自分以外の人がいて初めて存在するということ。誰もが自分の人生の主人公であると同時に、他人から見れば背景のエキストラであり、そもそも日本画自体が西洋画(という自分以外)があって初めて生まれたものだということ。ここまでは会場でも紹介した。

一方で、彼の最近作がそうしたサンプリング云々を抜きにして、1枚の絵として完成度が強まっているとも感じていた。ただ正直、僕が抽象絵画やフォーマリズムの文脈が不勉強なこともあって(TSでも実は過去に絵画の作家にほとんどインタビュ−していない)、うまく言葉にできなかったが、会場で冨井大裕くんから聞いた抽象表現主義の作家たちとの連関が面白かったので紹介したい。うろ覚えなので詳しくは別の機会に触れてもらえればと思うが、新作の背景の滲み・ぼかしのイメージとマーク・ロスコの絵画との連関や、具体的なモチーフを使いつつ抽象を目指しているところにウィレム・デ・クーニングを感じるとか、原色の地の上にマンガのモチーフを描いた作品を見ながらマレーヴィッチとモダニズムに通ずるという話もした。さらに言えば、近作の画面を覆い尽くす構図はジャクソン・ポロックにも通ずるとも言えるし、最初期の間取り図をモチーフにした絵はモンドリアン風、近作にもマチスを感じさせるものもあり…ケンゴさんの作品と抽象絵画の歴史との関連は深い。いわば、かつての抽象絵画や抽象表現主義の先に、日本のモチーフをサンプリングして日本画というフォーマットで成立させているのが、現在のケンゴさんの作品と言えるのかもしれない(少なくともここまでトークショーで触れられたらよかった)。この辺りも含めて今後、専門の批評家によるちゃんとした分析を聞いてみたい。

中村ケンゴ個展「自分以外」は6/5まで開催中。

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