KYODO HOUSE -Art of Living 近藤ヒデノリのブログ

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ヨーゼフ・ボイスの影響 -1984/2010

ちょっと前になりますが、水戸芸で行なわれたヨーゼフ・ボイス展の最終日に滑り込みで行ってきて考えたこと。(最近、Twitterの時間感覚に慣れてきたので、たまにはブログの方で長めに書いてみます)

この企画は、副題「よみがえる革命 21世紀にボイスを召還せよ」のとおり、1984年に西武美術館での個展開催のために来日したボイスを今、振り返るというもので、僕自身、ボイスについてはこれまでもドクメンタやヨーロッパの美術館や本を通じて共感する部分も多かったので、TS本のまえがきにも引用したり(実は近年、帽子を被ってるのもその影響だったりもする…恥笑)してきたけど、今回、当時の多くのドキュメント映像が見られたことで、初めて「生」ボイスに触れられた気がした。


意外だったのが当時、彼の来日に触れた多くの人が(スタッフやア−ティスト、討論会に出席した芸大生など)が、ボイスのモノやインスタレーションを中心としたいわゆるアートの他に、「7000本の樫の木」を植えたり、「自由国際大学」を設立したり(その大学に学生と立てこもったり)、「緑の党」に参加したりと「社会彫刻」という概念を掲げて活動する彼のことを今ひとつ理解できなかったということだった。たった25年前のことだけど、ともかく当時の日本ではそういう雰囲気だったらしい。

1984年といえば、オーウェル村上春樹の小説名にもなり、マイケル・ジャクソンやマドンナがデビューし(当時中学生だった僕には鮮烈な記憶)、西武のウディ・アレンの「おいしい生活」というコピ—とともに日本がバブル時代に突入していった頃。東京ディズニーランドのオープンが83年。ちなみに先日、再読した「なんとなくクリスタル」が発行されたのは81年。バブルへ向かう躁状態の社会の中で、アートという枠を超えて人間の創造性や環境などについて真面目に考えるには浮かれ過ぎていたし、それだけアートという概念がまだ狭かったということかもしれない。

唐突だが、ここで先日行われた音楽家の菊地成孔さんのトークセッションに補助線を引いてみる。菊地氏はこの時「アメリカはいつからアメリカになったのか?」というテ−マでロバート・フランクの写真集「THE AMERICANS」を見せながら、「アメリカが50年代半ばからたいして変わっていない?!」という面白い仮説を出していたのだ。

50年代半ば、アメリカではチャーリーパーカーが死んでエルビスとともにロックがメジャーとなり、キャンディー会社がビルボードを立ち上げ、ハイウェイや、マクドナルド、ディズニーランドが生まれた。たいていの人が「アメリカ」と聞いてまず思い浮かべるそうした「アメリカ/幼児性」はどれも50年代半ばに生まれており、そういう面ではアメリカは当時から今も「たいして変わっていない」ということ。

これをそのまま日本に当てはめてみると、日本ではちょうど1984年前後がターニングポイントだったのかもしれない。70年代の高度経済成長期と政治闘争を経て公害問題も忘れ、一気に経済価値至上主義にシフトして、日本が「アメリカ化/幼児化」していった時代。

その流れはバブル崩壊後の90年代も脈々と続き、その独自進化形ともいえるオタク、アニメ、ゲームが逆に「クールジャパン」としてブレイクしていく。その後、不況のゼロ年代から2010年にかけては、再び菊地さん曰く、バブル時代やニューアカの頃のように背伸びした大人っぽさにも疲れ、「おバカ」で「かわいい」に開き直る「幼児退行」が加速している・・・

そういう意味では、日本は1984年前後に始まった日本の「アメリカ化/幼児化」はたいして変わっていないどころか加速しているとも言える。

もちろん、日本はボイス来日から25年近くの時を経て「大きく変わり始めている」とも言える。ボイスの提唱したエコロジーはもう当たり前だし、グローバリズムと戦争の「アメリカ」が失墜して逆に日本や地域を見つめ直す動きも生まれている。

今、リコールに喘ぐトヨタの「プリウス」だって、「いろはす」だってボイスに言わせれば「社会彫刻」の一つとも言えるかもしれない。他にも、カタログにも掲載されている坂本龍一さんが環境運動してたり、TSでもとりあげた木を植える「アースワォーカー」ポール・コールマンさんや中渓宏一くんもいるし、黒崎さんは池尻の「自由大学」はもちろん、宮島達男さんが「アーティストサミット」を開き、先日お会いした中村政人さんが「3331」を始め、別府の山出さんや芹沢高志さんが「混浴温泉世界」を始めている……

あえては言わないけど、彼らはどこかでボイスの思想を引継いでいる「ボイスチルドレン」なのではないか。

25年以上前にボイスが唱えた「拡張された芸術概念」が世界中に散らばり、時にはアートとして、時にはアートという形ではなく芽を出し始めているように思える。そんな意味でも、高度資本主義の限界がリーマンショックでようやく誰の目にもはっきりしている2010年の今、ボイスが何をやろうとしていたのか、メッセージしていたのかを改めて振り返ったこの展示は意味のあることだったと思う。


BEUYS IN JAPAN ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命

BEUYS IN JAPAN ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命

カタログには当時のドキュメンタリーの内容や、今、当時を振り返った関係者へのインタビューも収録されていて充実。以下、気になったボイスの代表的な言葉メモ。

「すべての人間が芸術家である」
「人間の真理とは、生産性であり創造性です」
「未来の芸術は、どんな人間でも行なうことができます。この芸術は、現在芸術といわれているものよりもずっと高い形式であり、社会の秩序を変えていく力を持っています。そして最後には、人生そのもの、あるいは生きることそのものが芸術になるはずです」
「我々、人間の創造力、想像性、そうしたものこそが唯一の資本であるということが明らかになる日が来ると思います」
「自己決定=創造性=自由=芸術」(<黒板>(1984)に描かれている等式)
「愛することは、自立した人間以外にはあり得ないのです」
「すべての人はアーティスト=アクティビストである」(小田マサノリ「すべての人はアクティビストである/リーマンショック以後『拡張されたアート2.0』に向けて」より)


ちなみに水戸芸術館に行った日は、会場前で46日間毎日「這う」というアクションを行なっていた遠藤一郎くんにも会い、その後、中崎遊戯室へ。小料理屋での絶品あんこう鍋!を挟みつつ、中崎君や、ボイス来日時に対話に参加していた白川さん、水戸芸の竹久さん、遠藤水城さんらと朝まで飲み明かす。実は彼と会う少し前まで、ボイス展キュレーターの高橋瑞木さんと、ARCUSキュレーターの遠藤水城さん、2人の「ミズキ」を同一人物だと思っていたのでした(笑)。

先日始まった竹久さんキュレーションによる「リフレクション」展も見に行きたい!…が映像がYoutubeなどで気楽に観られる時代だからこそ、そこでしか体験できなものであってほしい。