KYODO HOUSE -Art of Living 近藤ヒデノリのブログ

クリエイティブディレクター\編集者\ソーシャルアクティビスト 近藤ヒデノリのブログ

横トリ(後半)田中泯「ただの一例です」

以前にもここに書いたけど、2回に分けて行った横浜トリエンナーレ、先週末にメイン会場の新港ピアと赤レンガ倉庫へ行って来た。何より印象に残ったのは舞踏家、田中泯のパフォーマンスでした。タイの作家、リクリット・ティラバーニャのつくった作品(舞台)に彼が入って来て、ただ、独自に、動く。僕はこれまで舞踏というものをまともに見たことがなかったのでよくわからないけど、なんだかすごいものを見たという感触。

一見、酒に酔っぱらった浮浪者がよろよろと歩いているだけのように思える。よろよろと、木で組まれた舞台の下を彷徨している田中さん。意識も朦朧として見える、少し危なっかしい。そのうち見てるのに飽きてくるけど、今度は、なんだか酔っぱらいの浮浪者というよりも、神様とか動物みたいなものがが取り憑いたシャーマンのようにも見えてくる。鳥のような小刻みに動く体。天をあおぐうつろな目線。そしてようやく舞台の周りの回廊を登りはじめる。まわりのロープを手や体で触りながら、足を引きづりながらゆっくりと進む男。なんだか、体のすべての感覚器でこの舞台を知覚しているような、愛撫さえしているような…。そしてようやく舞台の上にあがるが、そこでの動きも何一つ予測がつかない。不確定で断続的。決められた台詞もストーリーもない。リニアに時間が進まないから、先も見えない…。

そんなこんなで見てる僕は途中で何度も飽きて眠くなり、会場を出ようかという気にもなりつつ、どこか惹かれて最後までそこにとどまった。そして、突然の終わり(死、あるいは再生のように)。ようやく田中さんは、ふつうの意識をもった「ふつうの人」に戻ったようで、汗をふきつつ、少し笑顔も見せながら最後にこう言った。

表現にランクなんて何もないです。ただの一例です。さぁ、みなさんもどうぞ。

会場からは(その意図をわかったようなわらからいような)笑いとともに拍手が起きた。よくわからないもの。名付けられないもの。だけど、ただ一つしかないもの。一つの時間軸にも型にもあてはまらない、自然そのものとしての存在、そしてある時、突然に終わる存在……それが人間というもので、彼がダンスを通じて表現しているものなのかもしれないと思った。

「私は地を這う前衛である」というのは、帰ってから彼のサイトを見て見つけた言葉。20年程前に師である故・土方 巽(ひじかたたつみ)へのオマージュとして書いたもので、今もこの精神は私の本質であると書いている。近年では、これに「私は地を這う農民でもある」と付け加えたいと思っているとも。