KYODO HOUSE -Art of Living 近藤ヒデノリのブログ

クリエイティブディレクター\編集者\ソーシャルアクティビスト 近藤ヒデノリのブログ

バイリンガルで書かれているということ

夜遅くには、ひとりで西麻布SUPER DELUXで開かれていた「Tokyo Art Beat」の3周年パーティへ。このサイトがバイリンガルということもあるけど想像以上の外国人の多さにびっくり。ほぼ満員の会場で7割くらいは外国人だったような。そんな中で、建築家の長岡勉、写真家のARIKOさん、キュレーターのデビッドさん夫妻や、ライター/東京R不動産の安田洋平くんなど、久々の仲間に続々会えてうれしい。

様々な国の人が一緒に居るこの自由な感じが、やっぱりとても居心地がいい。異質なものの存在を前提とした空気。違いへのリスペクト。外国への無駄なコンプレックスも偏見も憧れもない、世界へのフラットな距離感。会社の中でも外でも、今の僕に一番欠けているのがこういう環境だと実感。

TSも元々は、バイリンガルにして直接世界に発信するはずが、諸処の事情で出来ずにいる。デビッドさんにも「TSの書籍を少しでもバイリンガルにすべきだよ!」と力説されるが、ほんとそのとおりだと思う。

先日会った中渓宏一さんもそうだけど、今の時代、ネットもある中で、個々のネットワークが直接、国境を越えてつながっていくことができる。ネグリの言うマルチチュード、分散型のネットワーク。そこで生まれる対話や刺激、表現…そういう個々の小さな動きによって世界は少しずつ変わっていくんだと思う。その際、唯一の障害となるのが日本語だけど、ほんのもう少し労力をかければいいのかもしれない。そういう意味でフルバイリンガルで出し続けているアート系雑誌やウェブサイト「TAB」や「ARTiT」「Pingmag」「REAL TOKYO」などはほんとエライ。

ウェブに関わらず、書籍でも広告でも、日本語でどんなに国際化とかグローバルなことが書かれていても、それが「日本語のみで書かれている」=「私たちは世界に向けて閉じています」「日本人同士、内輪で話しましょうね」ということを外国人だけでなく、日本人へも暗黙にメッセージしている。逆に、「バイリンガルで書かれている」=「世界に向けて開いている。グローバルな意識をもっています」という暗黙なメッセ−ジを発しているということ。それによって国境も関係なく世界中の人とダイレクトにつながることができる。

内容ではなく「日本語表記かバイリンガル表記か」という形式が、ほんとうのメッセ−ジを決めてしまう。内輪に閉じているか、世界に開いてるか。これって今、意外と大きなことのようにも思える。

ちなみに、この日は最後は安田君とディープに電車が動くまで話し込み、帰りに僕の最近一番好きなラーメン屋「赤のれん」へ。この秋は今週の金曜にオープンしたばかりの森美術館での「六本木クロッシング」(彼から聞いたけど相当面白いらしい)もあるし、もうすぐ現代美術館で始まる長谷川裕子さんキュレーションの(金沢美術館から移って一発目の)展示もあります。要チェック!