KYODO HOUSE -Art of Living 近藤ヒデノリのブログ

クリエイティブディレクター\編集者\ソーシャルアクティビスト 近藤ヒデノリのブログ

9.11/1.17

9月11日(NY同時多発テロ)は、1月17日(阪神大震災)と並んで、僕の中で自分の誕生日と同じくらい大きな印象がある日付です。その日を境に、世界の何かが変わり、自分自身も変わってしまったような…編集者の後藤繁雄さんが以前、「個人史のゼロ地点」というようなことを言っていたけど、僕にとってはこの2つの日付が自分の行動や考え方にとって、どこかでいつも起点になっている気がします。
まだよくわからないけど、この2つの日付は僕にとって身の回りの小さな社会を越えた「リアルな世界の現実」を体感した日なのだと思います。

1995年1月17日。
入社して1年目に関西勤務となった僕が、西宮の甲子園口に住んでいた時に体験した阪神大震災。ピンポイントではおそらく震度6〜7。心の底から「死ぬかもしれない」と感じた最初の時。自分のマンションは築浅の鉄筋だったので大丈夫だったが、マンションには電柱が倒れかかり、目の前の道路は真ん中からめくれ上がり、向かいの家は倒壊。すぐ隣に見えた武庫川の向こう側は文字通り「対岸の火事」のように見えた。徒歩3分くらいのところにある駅前では、古い5階建てくらいのマンションが倒壊して山になっていた。駅員さんに「電車の復旧予定がまったく不明」と聞いて、JRというインフラが壊れたということを実感したこと。バイクで長田町の方へ行って見た、真横に倒れた阪神高速道や、多くのぺしゃんこになった家、何もなくなった(教科書で見た戦争後の)焼け野原のような広場を見たこと…。
この世界は壊れることがあるということ。どれだけ自明に見える大きなものも、壊れることがあるということ。人工物の脆さ。そんな中で、人は呆気なく死ぬということ。人にとって一番大切なものは何か。そして、一人の人として僕は、生きている間に何ができるのか。何をすることが、その人にとって幸せなのか。


2001年9月11日。
それまで3年間住んでいたNYからヨーロッパを経由して帰ってきたばかりの僕は、このニュースを当時住んでいた祖母の家のテレビで見た。崩れ行くWTC。僕はほんの数ヶ月前に、そこで募集されていたアーティストインレジデンスに申し込んでいた。また、アーティストビザを取得するためにWTCの目の前の弁護士事務所に何度も足を運んでいたし、108階で毎週水曜日に知人のDJルシアンが開催していたパーティーにも何度も遊びに行っていた。
それなのに、(多くの人が言っているように)テレビの中の映像は映画と同じようなイメージでしかなく、僕はそれをすぐには理解できずに、一度テレビを切ってしまったことを憶えている。ちょうど、その時に読んでいたポール・オースターの小説「リバイアサン」の中に狂信的な右翼がテロを起こすことが書いてあって、思わずそれを想像してしまったことも。でも、むろん、それは狭いアメリカ国内だけの話ではなかった。

西欧諸国や日本を中心とするグローバリズムと、イスラムを始めとする第三世界の不均衡、そこから来る対立がリアルな現実として突きつけられたのだ。「イメージに覆われていた世界へのリアルの混入」と現代思想家のスラヴォイ・ジジェクが語っていたように、発展という幸福なイメージの中に、その裏にある搾取とか、貧困、差別という現実が明るみに出たということ。

あのテロ事件から程なくしてアメリカが報復戦争を始めてすでに6年目、泥沼化。そして日本は今、憲法を改正してアメリカと同じように戦争ができる国になろうとしている…。「テロとの戦いを続けるために」と言うと聞こえはいいけど、その戦い方を間違えている。もはやアメリカ国民もイラク派兵を疑問視する中、そんな戦争に加担するために、世界で唯一憲法で戦争を放棄したはずの国が、貴重な平和憲法を変えてしまうのか?僕らひとりひとりが、もっと考えるべき事だと思う。