KYODO HOUSE -Art of Living 近藤ヒデノリのブログ

クリエイティブディレクター\編集者\ソーシャルアクティビスト 近藤ヒデノリのブログ

「Micropop」@水戸芸術館

NADiffでキュレーターの松井みどりさんからGW中で展示が終わることを聞いて慌てて、作家の新野くんと土屋くん、妻で向かうと、中庭でひとりで現れた写真家の高田洋三にばったり会ってそのまま合流。なんだか最近よくあるような偶然。

この展示は、ここ10年に生まれた新しい日本のアートを紹介する、という松井みどりさんのキュレーション。村上隆の「スーパーフラット」以降、日本発で新しいアートを紹介しようというもので、このあたりは去年、CETで僕と新野くんと共同で行った展覧会のもくろみと重なる部分(もちろん準備期間と規模はまったく違うが)。
内容的には、グローバリズム、冷戦以降失効した大きな物語、過度の情報社会に対して、作家のひとりひとりが身の回りの有り合わせのものや写真、ビデオ、ドローイングといった手法。断片の集積による作品・世界観の提示。編集・ブリコラージュという形での創造。遊戯性。アートポヴェーラ、シチュエーショニストの流れ…など、これまでTSでインタビューしてきた作家たちに重なるところも多く、共感できるところも多々あった。そして、もはや上の世代のように、「日本」という土壌、土着性にとらわれていないということも再確認。

ただ、その後水戸の絶品寿司屋(「福すし」)にみんなで行って話してたのは、一部の作品に見られる幼児性、脱力系の弱さ。良く言えば、それは「子供らしい創造力」だけど、「美術」という枠を外して見た時に他のジャンルの表現、マンガ、映画、TV番組などに拮抗できるのだろうかということ。どの分野でもそうだろうけど、マンガでもTV番組でも映画でも広告でも、その枠を外しても尚スゴイ!ってものが「美術」ではなく「芸術」と呼ばれるのだと思います。

その日は寿司屋で飲み続けた僕らは、夜から勢いでなぜか取手へ。土屋くんの友人の作家、海老原くんのアトリエに行って朝まで飲む(僕は途中でダウンしたけど)。すっげー広いアトリエ、田舎の空気、最高でした。海老原くん、ありがとー!