KYODO HOUSE -Art of Living 近藤ヒデノリのブログ

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国家の品格

またしても新書ベストセラー本だ・・・。昨日の夜中、蚊に刺されて今イチ眠れず読み始めたら、一気に朝まで読み切ってしまった。
数学者の著者がいきなり「論理」の限界を語り出すが、「論理的に」説明してくれるのでわかりやすい。たとえば、AならばB、BならばCというように、常にある「出発点」から始まる「論理」は、その出発点自体が、既に間違えてるかもしれないということ。だから出発点自体を総合判断する能力が重要で、東大上がりの秀才官僚に足りないもの…。このああたりは論理中心主義の限界として、様々なところで多くの人が言っていること。
でもそのままの勢いで自由、平等、民主主義をバッサバッサと否定していくのに驚いて目が冷めた。その説明にはそれなりに説得力があるのだが、よくわからないがしっくり来ない。

そして著者は、論理の出発点を総合判断するのに必要なものとして、日本人が古来からもつ「もののあわれ」という自然への感受性といった「情緒」、武士道や茶道というような「形」を挙げる。「日本」ときたか。著者はナショナリズムと、国への誇りは分けているが、ここが混同されると危ない。そういやジム・ジャームッシュもちょっと前に、武士道をテーマに映画を撮ってたし、「ラストサムライ」なんていう映画があった。クオリアの茂木さんも端的に言えば、論理とクオリアの両方を大切にと言っているし、論理偏重でガタがきた世の中は確かに、そういう日本的/東洋的価値観の方に向いてきている。

あと、気になったのは「人を殺してはいけない」とか「イジメはいけない」とかは論理では説明できないということ。それは、駄目なものは駄目、卑怯なものは卑怯だと論理ではなく、押し付けるしかないということ。それが武士道精神だと。やや強引な気もするが、なんだか説得力を感じてしまう。それにしても、最近このぐらいの年齢(おじいさん)の教養人(この人は数学者)の本を面白く読めてしまうのは、僕がクロアチア戦の日に35歳の誕生日を迎えてしまったからか?おかげで目がすっかり冴えてしまって眠りにつくのが辛かった・・・。

国家の品格 国家の品格
藤原 正彦 (2005/11)
新潮社

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