KYODO HOUSE -Art of Living 近藤ヒデノリのブログ

クリエイティブディレクター\編集者\ソーシャルアクティビスト 近藤ヒデノリのブログ

「THE ANSWER」「シブヤミライ手帖」


THE ANSWER

ちょっと前にオフィスの棚で見つけ手に取った本。帯には「空前の哲学エンタテイメント小説!」とある。「世界中のすべての問いを解決できる答えはあるのか?」というあまりにも日常をかけ離れた大きな問題設定、そして老人ホームから哲学、世界の始まりとは?終わりとは?理論物理学、数学、宗教…と話題が多岐にわたっていることに加え、手紙調の文体や、作者自身これを書く前後の精神失調の様子が相まって「この人ってマジでキチガイ?」と読んでる自分を疑いそうになる。そんなある種の異常さとパワーがこの本にはある。また作者がこの本を出版する前にいろんな大学を回ってみたものの、各分野で細分化された学者たちにほとんど相手にされなかったという話しも、きっとそうだろうなと思う。哲学者がパワーを失ってしまっている今、世の中で起こっている多くの事象を横断して語れる人は極端に少ないからだ。たいていは「専門外なので…」となってしまう。

ただ、この本がほんとにキチガイによる本かというと僕はそうではないと思う。岡本太郎にしても、デュシャンにしても、世間の常識とあまりにも違うことをいう人がキチガイのように見えるというだけだ。どうしたらあらゆる対立を双方が納得いく形で解決できるのか?という問いに対しての、ルールを共有した上で同一の意思決定プロセスの作り方は(その実現性は別にして)至極まっとうだし、「私とは?」「世界の始まりとは?」という哲学的な問題に対してその意味を言葉の由来に求めるという「言語発生起源説」、「認識=決める」ことであり、真理にはそもそも根拠などないという展開はちょっと呆気ないが筋は通っている。

作者が憧れているアインシュタインのように、世界のすべて説明する「最終理論」のような究極の真理を求めるということ自体には僕は疑問が残るが、世界で戦争やテロが起こって混乱している中で、こうした種々の問題をどうしたら解決できるのか(あるいは解決へ向けて手を動けるのか)ということを、根本的なところからテーマにしているという点に興味を憶える。まだ一度読んだだけで理解できない部分も多いので、もう一度読んでみるが。


シブヤミライ手帖

以前に一緒に仕事をしていた同僚で、少し前に会社を辞めて渋谷区の区会議員になり、ソトコトなどでも連載しているハセベケンが本を出した。偶然にも装丁は上に挙げた本と同じ寄藤文平JTの大人煙草講座などで知られる)。渋谷の街でゴミを拾うという地道な活動(GreenBird)をベースに、網来の世界のモデルケースとして、渋谷という街の未来を考えて実際につくっていこうとしている彼の活動は、ジャンルこそ違えど表現のひとつだ。僕らの感覚に近くて、楽しく(これが重要だ)、実際に、世界を変えていこうとする活動。そんな彼のビジョンと経緯を語った本。面白い。