KYODO HOUSE -Art of Living 近藤ヒデノリのブログ

クリエイティブディレクター\編集者\ソーシャルアクティビスト 近藤ヒデノリのブログ

最近のこと

ここに書くのを一月くらいご無沙汰してしまった。
このところ広告仕事の方で某お茶のこの秋と来年のキャンペーン、某デジカメブランドの企画/プレゼン作業などが同時進行で徹夜が続いたりの滅茶苦茶な生活になっているからというのもあるけど、とはいえブログも書く暇が無いっていうわけでもないわけで、もうひとつの理由は友人の多くがSNSミクシー内の日記に書き込んでいるのを見るにつれそっちで書くべきかと思ったり、TSの方でも「編集室」というブログを立てているので、どこで書くべきか迷い始めてしまったのだ…。ブログでどうせ書くなら今までみたいにいろんな話題を書き流すより、もう少しテーマを絞ってちゃんと考えて書いた方がいいのかなとか…まだ結論も出ていないんだけど、しばらくは今までどおり身辺雑記を書いて行きます。自分で忘れたくないこと、できたら周りにも知ってほしいことを。


TOKYO SOURCE
こちらは先週、映画界で今「日本のジャームッシュ」と注目されている山下監督と、現実の風景を大判カメラを使ってミニチュアのように見せる写真家、本城直季さんにインタビューしてきた。前者は「リンダリンダリンダ」という映画がもうすぐ公開されるということもあって、僕らの他に全部でインタビューが20本以上入っているとか。まだまだサブカルとはいえ、アートや写真に比べたら映画はやはりメジャーだ。この2本はこれから順次TSのサイトでアップされていきます(前者は23日、後者は8月初旬の予定)。来週末くらいから、広告の方が少し落ち着いたらまたどんどん行きたいと思っている。

■苦情メール
先日、TSの一読者の方から初めて苦言メール(匿名)が来た。やっている方としてはどんな内容であれ、それだけ反応があるということで何もないよりはうれしい。ちなみに苦言の内容は、僕の「記事の書き方、質問の投げかけ方が、不躾で、読んでいて不快。(…)アーティストの尖がった意見が聞きたいのであって、アナタの文章が読みたいのではないんですよ。」だそうである。

「記事」とは(インタビューの前段の)リード部分のことだろうが、具体的な指摘がないのでどこを指しているのか不明である。内容についての具体的な指摘・批判なら対処できるが「快/不快」というのは人によって違う主観的なものである。「そう思う人がひとりいた」と頭の隅に気に留めておくことくらいしかできない。リード文では、僕は下手なりにそれぞれの表現者をわかりやすく紹介しながら、彼らに対しての僕なりの意見を曖昧にせず言い切るように書いているのだが、その辺りが「不快」ならばある意味しょうがない。リード文はその人のことをよく知らない多くの人に向けて書いているので、すでにアーティストを知っていてその「尖った意見」だけが聞きたいなら、読み飛ばしてくれて構わないのだ。一方で「質問の仕方」については正直、あえて相手が答えにくそうなことを聞いている部分もある。もちろんそれで相手が嫌な気分になってしまっては元も子もないので、その辺はバランスを見ながらやっているし、その肝心な相手とまずい雰囲気になったことはない気がするが…。

また「アーティストに対して上から見て話しかけてるところも不快。編者がタメ口で、アーティストは敬語で話してますよね。」とあるが、僕は基本的には敬語というか丁寧語で話してはいて、今までは相手と年齢が近い(多くは下)ということもあって、打ち解けた中でタメ口になっているところも、近さを出すためにそのまま表記していた。それが「上から見ている」ということになるのだろうか。態度としてそういうつもりはまったくないのだけれど。それにしても普段から感じることだけど、日本語の敬語というのは本当に面倒くさい。敬語を使うと相手との間に無意識に壁が生まれてしまうから。


ガンダム
今月のARTiT田中功起の展覧会のプリビューをちょろっと書いてます)が表紙に使っているけど、大阪で始ったガンダム展、面白そうだ。TSでインタビューした田中功起も、先日広告の方で一緒に仕事した掛川泰典も参加している。暇を見つけて行ってレポートでもしたい。


ART iT (アートイット) 07月号 [雑誌]