KYODO HOUSE -Art of Living 近藤ヒデノリのブログ

クリエイティブディレクター\編集者\ソーシャルアクティビスト 近藤ヒデノリのブログ

直島:地中美術館/家プロジェクト

直島は、以前から相当楽しみにしていたんだけど、最近オープンしたばかりの地中美術館にはちょっとがっくり。建物自体はいい。地中だけに、よく見えないけど。それに最大2時間待ちはGW中だからしょうがないとしても、係員のマニュアルロボットぶりに辟易した。

「スリッパを履け」「一室には○人しか入れない」「壁に触るな」「声を立てるな」だのと、建築やアート「作品」への過剰な保護を滔々と僕らに説く。おそらく設計者やアーティストはきっと、もっと自由に見て楽しんでほしい、そのための最低限のマナーを守ってほしいといってるだけだとは思う。ただ、それを受けた者が、その真意を理解せずにインストラクションの字面だけを守らせようとする。日頃、いろんな場面で見かける嫌な風景が、ここでも繰り返される。アートはとっくの昔に礼拝の対象ではないのだ。もっともW・デ・マリアとタレルの作品が飾られた(というより奉られた)部屋が、新興宗教の礼拝堂に見えたのは皮肉だけど。

展示されている作品自体は、巨匠のものばかりだけにさすが。しかも建物自体が作品に合わせたテーラーメードのようなもの。モネの絵の飾られた部屋の天井からの柔らかい光と、細かい白いタイルが敷き詰められた床はすばらしいし、待たされるのにはうんざりしたとはいえ、J・タレルの光を体験する作品もさすが。W・デ・マリアもあいかわらず、固くて崇高だ。

でも、、、この作品数で入場料2000円はちょっと高過ぎる。カフェのコーヒーも高い(500円)。いや、ほんとに、一作品当りの入場料では世界の美術館で一番高いんではないか!…

noashima

と、文句たらたらで僕ら三人は美術館を出たところで、セイジさんが遠くに見える海の写真を撮ろうとしていると、係員がすかさず寄って来て「すみません、風景も作品の一部なので撮影はご遠慮ください。」「…」。一応、出口の前だから建物の敷地内ではあるが、建物の外、いわば元からある山の上からの海の風景までも「作品の一部」とは、ちょっと行き過ぎでないのか。なんでもかんでも「作品」と言うことによって「作品化」する悪しき慣習だとしか思えない。

直島の古い街並に散在する一軒一軒の家をアーティストが作品化する「家プロジェクト」の方も、数が少ないとはいえ、ここでしかないものとして楽しい。六本木のデジタル数字でお馴染みの宮島達男の「角屋」も、古い家とデジタル数字の相性が絶妙だったし、「南寺」のほぼ真っ暗な空間で人間の可視量ぎりぎりの光を浮かび上がらせるタレルの作品も並んだ価値は十分にあった。

まあとにかく行く価値はあるけど、ちよっとお金をとりすぎじゃない?