KYODO HOUSE -Art of Living 近藤ヒデノリのブログ

クリエイティブディレクター\編集者\ソーシャルアクティビスト 近藤ヒデノリのブログ

散種ー溜めないこと

以前に深夜帰宅のタクシーで出会った運転手さんの話を思い出す。あの時、自宅前に着いても話は一向に終わらず、諦めた僕はその後1時間ほども彼の話を聞いたのだが、彼は、お風呂の中で水を掴むことを喩えに、どうやったらお金が手に入るかということを話した。

「お金が欲しかったらといって、一生懸命それをつかもうとしても駄目なんですよ。ほら、水をつかもうとしても掴めないでしょ。お金が欲しかったら、まずは自分の方から外に押し出すこと。そうすればほら、お風呂の中で水を押し出した時のように、いつか戻ってくる。」

僕は最近この話しの「お金」を「情報」に読み替えて、とにかく自分の中に情報を溜めないようにしている。Blogに書くってのもそういうことで、身の回りで僕が面白いと思ったこと、発見したことは、自分の中に大事にしまっておかないでどんどん外に出して行こうと。それは今の時代、ネットがあるからこそできることだし、前に読んだ共有知や、クリエイティブ・コモンズとの考え方ともリンクしている。

「散種」という概念はデリダ発だったか…。
自分という存在に「郵便配達人」というメタファーも使っていた。
情報という種(source)を撒き散らしていくこと。
役に立つかどうかわからなくても、溜めないでどんどん出していくこと。
その種がどこかで勝手にリンクを結び、育つのにまかせること。
そうしないと、なんだか気持ち悪くなるようになっきている。


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