KYODO HOUSE -Art of Living 近藤ヒデノリのブログ

クリエイティブディレクター\編集者\ソーシャルアクティビスト 近藤ヒデノリのブログ

なぜ、今、日記なのか。

今週発売されたBRUTUSが日記の特集を組んでいる。様々なジャンルの人の日記を紹介しており、覗き見的根性も多いに刺激されてそれなりに楽しめる。今回こういう特集を組んだのは、昨今のBLOGブームなどから来ているのは明らかだけど、それにしても今、なぜ「日記」なのか。

日記というのは本来自分のためにつけるものだから、BLOGやこの雑誌に載っている日記はすでに人に見せることを前提にしている以上、従来の意味での日記ではない。これらは一見日記やメモや落書きのようでもあるけど、レベルはともあれ、一応は個人の「表現」なのだ。しかもプロとアマの境界が技術の上では曖昧になった時代の。

従来の「表現」ー小説、詩、エッセイ、論文、あるいはアート作品が、ある程度のまとまった時間をかけて熟成され、完成されたものなのに対して、BLOGなどの「日記」は更新も簡単だから載る情報はとにかくスピーディーで、ライブで、リアル、圧倒的に取っつきやすい。マスメディアへの信頼が地に堕ちてしまっている今、こういう個人の生の声に注目が集まるのは自然だといえる。

また、従来の「表現」が作家の世界の完成された世界として閉じているのに対して、BLOGに出てくる「日記」はトラバしたり、リンクしたり…見る側が参加できるようになっているのも大きい。個人同士がフィードバックをしあい、つながっていける。「過程」として開かれた不完全な「表現」なのだ。アートの歴史で60年代のハプニングやコンセプチュアルアート以降、作家による完成された世界をつくる形から、参加型インスタレーションなどへ変化していることと呼応しているといえなくもない。

BRUTUS


創発?蟻・脳・都市・ソフトウェアの自己組織化ネットワーク

ここで唐突に、ちょっと前に読んだ「創発」という本を思い出す。この本で作者は、人間の世界(都市)の成り立ち方を、脳の神経細胞の相互関係や、アリの集団の部分と全体の関係を例に挙げながら、上からの指令によってではなく、個々の部分間の相互の単純なフィードバックの繰り返しによって複雑な全体をつくりあげていくボトムアップ形式として語ろうとしている。ブログはまさにそういう形のツールなのではないか。

もっとも人のブログを見ていて面白いと思えるものは少ないけど、もともと知っている作家のBLOGなどは作品とは別の、生でタイムリーな声は面白いし、全体としても学生とかフリーターとか若くて暇な人はやっぱり多いんだなとか、リストラされた人の生きがいなのかなとか、データからは見えてこない今の日本のリアルな状況が見えてくる。もちろんブログをやっている人はまだ限られているし、PCよりも携帯メールという人が多いのも事実だけど。

このBLOGを始めるころにもちょこっと書いたけど、僕はBLOGに代表される「日記」は、ネット上の全く新しいツールかどうかは別にして、個人個人がある程度自由にカスタマイズでき、生の声を素早く発信していけること、またそうした個人商店(セレクトショップ)を通じて相互につながっていけることなど、こういう時代に出るべくして出て来たツールだと思っている。もっとも、それはそれでほんとに「表現」しようとしている人にとっては、厄介なことかもしれないけど。