KYODO HOUSE -Art of Living 近藤ヒデノリのブログ

クリエイティブディレクター\編集者\ソーシャルアクティビスト 近藤ヒデノリのブログ

新潟中越地震

週末はいつものようにあんまりテレビを見なかったんだけど、新聞でめくれあがった道路の写真などを見て、阪神大震災の時に西宮近くに住んでいた時のことを思い出す。あの時、僕のマンションには倒れた電柱が突き刺さり、目の前の道路ももはや車が通れないくらいにめくれあがってしまっていた。テレビでは、レポーターの後ろで空騒ぎする子供が不謹慎だという声もあがったが、地面そのものがひっくり返るような状況は、どうしたって人の心をざわつかせるのだ。ふだん当たり前だと思っていたものが目の前で崩れたのを見るのは、大変だとか悲しいを通り越して、何か革命的な胸騒ぎを起こさせる。
一方で「新潟で大きな地震があったらしい」というニュースを聞いたときの、自分の鈍い反応の仕方に、あの時東京にいた人たちの反応も(首相も)こんな感じを重ね合わせる。遠く離れたところで自分が安全なところにいると、大変な出来事を聞いてもリアリティーが感じられなくなる。感覚が鈍くなる。濁流のど真ん中に水没したバスの上で大勢の人が夜を明かしていた時、僕は何をしていたか。そうだ、友人と家で飲みながらドミノをしていたのだ。そんなものなのだ。

柄谷行人が、たしか「倫理21」という本の中で「大切なのは他者への想像力だ」というようなことをいっていた。自分とは全然違う状況にいる人々のことをどれだけリアルに想像できるか、それにょってその後にとる行動も変わってくるのだ。戦争だって、ブッシュやアメリカの首脳部にもう少し「あっち」の人たちの生活を想像する力があれば起こらなかったはずだ。何も知らず、ゲームに参加するかのように志願していった兵士たちにしてもそう。無知は罪なのだ。ザーメン。


倫理21

おととい、新潟で、ある人は家を、ある人は大切な人を失った。たった今、この日本にはそういう状況の人がいる。少なくともそれを胸において、これから過ごそうと思う。そして僕は僕なりにできることを日々の中でやっていく。

新潟中越地震で亡くなった方々にお悔やみ申し上げます。

地震関連情報のリンクを貼っておく。
http://www1m.mesh.ne.jp/~volanet/kobefund/huruhon1/ueda/search.html