KYODO HOUSE -Art of Living 近藤ヒデノリのブログ

クリエイティブディレクター\編集者\ソーシャルアクティビスト 近藤ヒデノリのブログ

7/14/1999

ship

鑑真号という船で大阪から上海まで約46時間かかる。丸2日よりちょっと短い。これが長いのか短いのか僕にはよくわからない。船は決して豪華なものではないけど、少なくとも現代風だし、100人以上は乗れる大型のものだ。

ひとつ言えるのは、飛行機が安くて速いこの時代に船に乗るなんて人は、よっぽど時間の有り余ったもの好きか、単純にお金がないかの二つにひとつだということだ。ちなみに僕はその両方にあてはまっていて、退屈さだけを心配しながら船に乗ったのだった。

船にはあまり人はいない、というより、ほとんど空っぽに近い。まだハイシーズンでないのと、大半の人がもっと便利で早い移動手段をとったからだろう。帰省途中らしき数人の中国人の家族連れや外国人がいるが、ほとんどは日本人だ。僕みたいに、さしたる目的もないけど、ちょっとのお金とたくさんの時間のある若い旅行者たちが多い。
他の旅行者たちと話しながら外のデッキに座る。
「名前は?」
「どこから来たんですか?」
「仕事は何をしているんですか?」
殆どはまだ何者にもなっていない学生、あるいは何者かだったのをやめて別の何者かになりたい人で、きっとそれが理由でこうして旅に出ている。

海はとりたてて綺麗、というわけでもない。でも水平線が上がったり下がったりしているのを見ているとやけに心が落ちつく。波も高くはなく、船はまったく動いていないかのようにゆっくりと進んでいる。僕はさっきから水平線の規則的な上下動というほとんど同じ風景を船の至るところから見ている。そして、船にのってからずっと僕を捉えている不思議な感覚について考える。

ここには、住所がない。僕は今ただ、日本と中国の間のどこかで船の上にいる。今どっちの国にいるのかさえはっきりしない。ただ頭の中で航海時間を計算しておそらくまだ日本の海域のどこかにいるんだろうと思うだけだ。船の内装もどちらかの国の伝統を感じるというわけでもなく、とても清潔で、平凡で、退屈だ。何の特徴もないといった方がいいかもしれない。部屋は単に部屋であり、椅子は椅子であり、テーブルはテーブルであり、それ以上なにものでもない。この船で働く人々も、彼らがみな中国語しか話せないこともあり、僕にとっては単に船で働く人々であるにすぎない。

目の前の風景が徐々に現実感を失い、抽象的になっていく。僕は物理的にも、心理的にも浮かんでいく。場所性がない場所の上に。